江戸時代、箱根には湯本温泉をはじめとする七つの温泉場があり「箱根七湯」と呼ばれていました。
当初は療養を目的とした湯治場でしたが、文人や旅人の往来が増えるにつれ周辺の史跡や風光が名所として親しまれ、やがて湯治場から観光地へと姿を変えていきました。
温泉情緒と歴史が息づく箱根七湯は、今も多くの人々を魅了し続けています。
箱根七湯の歴史に浸る!温泉情緒と文化を巡るエリアガイド
画像提供/箱根町立郷土資料館 七湯の枝折「箱根七湯全図」
「HAKONEIKU」箱根七湯の歴史に浸る!温泉情緒と文化を巡るエリアガイド
江戸時代、箱根には湯本温泉を含む七つの温泉地、いわゆる「箱根七湯」が成立しました。
各温泉は独自の歴史・文化を有し、泉質や周辺観光資源も多様です。温泉の効能に加え、その背景となる物語や史跡を把握することで、箱根観光の価値はより一層高まることでしょう。
今回は各温泉の泉質、特色、主な観光・文化財を紹介します。
Contents
箱根温泉の始まりから今に続く歴史を訪ねる
七つのエリアの個性豊かな観光スポット
湯本(ゆもと)温泉
画像提供/箱根町立郷土資料館 七湯の枝折「湯本の全図」
千年の湯でゆったりと味わう美肌と癒しに満ちる上質なひととき
箱根七湯の中でも最も古い歴史を持つとされ、開湯は奈良時代とも伝えられています。アルカリ性単純温泉は無色透明のやさしい泉質で、肌触りが柔らかく、入浴しやすいのが特長です。美肌やリラックス効果、疲労回復にも適した湯治場として古くから多くの人々に親しまれてきました。
【泉質】
単純温泉、アルカリ性単純温泉、ナトリウム─塩化物泉(弱食塩泉)、ナトリウム─ カルシウム─塩化物・硫酸塩泉(含石膏弱食塩泉)、ナトリウム─塩化物・硫酸塩泉(含芒硝弱食塩泉)、ナトリウム・カルシウム─塩化物泉(含塩化土類弱食塩泉)
早雲寺・早雲公園
「早雲寺」は1521年、戦国大名の北条氏綱により創建された、臨済宗大徳寺派の古刹です。周辺林はヒメハルゼミの生息地として神奈川県の天然記念物に指定されています。箱根湯本駅から徒歩約15分とアクセスも良く、市街地の喧騒を離れて静寂を味わえます。
「早雲公園」は早雲寺裏山の自然林を活用した散策型の公園で、園内には遊歩道が整備されています。
須雲川(すくもがわ)沿いの散策・あじさい橋
須雲川沿いは旧東海道の面影を残す歴史的な街道で、箱根ジオパークに登録されています。川を挟んで異なる地質が露出し、須雲川安山岩類を観察できます。駅近くの朱塗りの「あじさい橋」は、初夏の紫陽花や秋の紅葉と相まって人気の撮影スポットです。
滝通りの温泉街の風情
「滝通り」は、箱根湯本駅から商店街を抜け、早川と須雲川を渡った先に続く情緒ある温泉街です。
この地域にある「玉簾の瀧(たまだれのたき)」を中心に、明治時代には「滝の前遊園」が整備され、それに併せて湯本温泉から須雲川沿いに通じる滝通りも開発されました。以降、この一帯は新たな観光地として発展し、大正時代には政財界人の別荘が軒を連ねるほどになりました。
その風情は今も残り、老舗旅館が建ち並ぶ街並みには、古き良き時代の趣が息づいています。川沿いをそぞろ歩けば、自然と歴史が織りなす温泉街ならではの魅力を満喫できることでしょう。
塔之沢(とうのさわ)温泉
画像提供/箱根町立郷土資料館 七湯の枝折「塔之澤全図」
弾誓上人(たんせいしょうにん)ゆかりの名湯で味わうまろやかな美肌の湯
阿弥陀寺を開山した弾誓上人が1605年に発見したと伝わる「塔之沢温泉」は、無色透明で刺激が少ない、まろやかな泉質が特長です。入浴後の潤いが感じられることから「美肌の湯」としても親しまれています。
【泉質】
単純温泉、アルカリ性単純温泉
玉簾橋と早川の渓谷美
「玉簾橋(たまだればし)」は、早川から分かれた須雲川に架かる小さな橋です。橋を渡ると、やがて「玉簾神社(たまだれじんじゃ)」、「玉簾の瀧」や「飛烟の瀧(ひえんのたき)」へと続いていきます。
玉簾神社は、旅館「天成園」の庭園内にひっそりと佇む神社で、縁結びや水の守り神として古くから信仰を集めてきました。
近くにある玉簾の瀧は、糸のように細やかな流れが幾筋にも岩肌をすべり落ち、その姿が玉簾(たますだれ)を思わせることから名づけられたと伝えられています。
この滝をこよなく愛した歌人の与謝野晶子が訪れた際に、詠んだ歌が今もこの地に残されています。
「山荘へ 玉簾の滝流れ入り 客房の灯をもてあそぶかな」
一方、飛烟の瀧は落差約20メートルの水量が岩壁に砕け、白煙のような飛沫を上げる迫力のある滝です。
須雲川本流の早川は塔之沢温泉の谷間を穏やかに流れ、春の新緑、夏の深緑、秋の紅葉、冬の雪景色と四季折々の渓谷美を演出します。特に紅葉期は水面に映える赤黄の彩りと川音が調和し、訪問客に静かなやすらぎを提供します。
国道一号沿いの山肌から顔を出す旅館の木造建築は温泉地の歴史を象徴し、周辺にはハイキングコースや散策路も充実しているため、短時間でも箱根の自然と文化を体感できます。
堂ヶ島(どうがしま)温泉
画像提供/箱根町立郷土資料館 七湯の枝折「堂ヶ島全図」
早川渓谷の秘湯とともに過ごす静けさと癒しの時間
鎌倉時代末期〜南北朝時代の高僧・夢窓国師(むそうこくし)が開いたと伝わる秘湯は、早川渓谷の底にひっそりと佇み、都会の喧騒とは無縁の静けさに包まれています。刺激の少ない、やさしい湯は体の芯まで温まると好評です。
【泉質】
ナトリウム─塩化物泉(弱食塩泉)、ナトリウム─塩化物・硫酸塩泉(含芒硝弱食塩泉)など
堂ヶ島遊歩道/チェンバレンの散歩道
「堂ヶ島遊歩道」は堂ヶ島温泉を起点に、早川の渓流に沿って木賀温泉へと向かう約30~40分のハイキングコースです。
イギリスの学者チェンバレンが散策を楽しんだことでも知られ、「チェンバレンの散歩道」とも呼ばれています。
11月中旬から下旬にかけて一斉に木々が色づき、渓谷一面が鮮やかな紅葉に包まれます。箱根の秋を間近に感じながら自然を満喫できる魅力的な遊歩道です。山あいの道には足元が滑りやすい箇所もあるため、歩きやすい靴での散策をおすすめします。
夢窓国師閑居跡
「夢窓国師閑居跡(むそうこくしかんきょあと)」は、鎌倉時代末期から室町時代初期にかけて活躍した禅僧の夢窓疎石(むそうそせき)の草庵跡(そうあんあと)と伝えられています。
夢窓疎石は、後に「夢窓国師(むそうこくし)」の尊称で呼ばれるようになり、後醍醐天皇や足利尊氏からも深く信仰された高僧です。堂ヶ島温泉を開湯したとも伝えられています。
名声を遠ざけ、山野での侘び住まいを好んだといわれる夢窓国師にふさわしい、静寂に包まれた史跡です。早川(堂ヶ島)遊歩道沿いにあり、川のせせらぎに耳を澄ませば心が落ち着き、穏やかな時間が流れていきます。
宮ノ下(みやのした)温泉
画像提供/箱根町立郷土資料館 七湯の枝折「宮ノ下全図」
心安らぐ泉質と異国情緒が織りなすノスタルジー
室町期に湧出(ゆうしゅつ)が記録され、効能豊かな湯として古くから親しまれてきました。明治期には外国人観光客も多く訪れ、異国情緒あふれる町並みは今も大きな魅力です。穏やかな泉質の湯は何度訪れても楽しむことができます。
【泉質】
単純温泉、アルカリ性単純温泉、ナトリウム─塩化物泉(弱食塩泉)
宮ノ下商店街
宮ノ下商店街は、明治・大正期の建築物が良好に保存された歴史を感じる場所です。外国人観光客が多く訪れた宮ノ下温泉エリアにあり、写真館や骨董・古美術店など、異国文化を扱う店舗が増加しました。
現在も国道1号線沿いには多彩な専門店やリノベーションカフェが点在し、旧来の建物と現代的建物が調和した景観を生み出しています。この町並みはセピア調の写真を連想させる風情から「セピア通り」と呼ばれています。
嶋写真館
創業は1878年。富士屋ホテルの開業と同時に設立された老舗の写真館です。富士屋ホテルに滞在した著名な外国人客たちの肖像を数多く撮影しており、店内には当時の写真が多数飾られ、貴重な歴史資料を間近に見ることができます。
また、明治時代の写真をポストカードとして販売しているほか、セピアカラーの写真撮影も行っています。一枚ずつ丁寧に手作業で仕上げるセピア色の写真は、どこか懐かしさを感じさせると好評です。旅の思い出に一枚撮影してみてはいかがでしょうか。
いろり家
足をのばしてでも訪れたい和モダンのダイニング。神奈川県が誇るブランド牛「足柄牛」のメニューを落ち着いた和の空間で味わえます。
リーズナブルな価格で楽しめる「足柄牛のステーキ丼」は、ランプかロースのどちらかを選べる看板メニュー。塩やわさびを添えると、足柄牛の上品な甘みがより際立ちます。地元産を使った「あわび丼」も好評で、旅のごちそうにふさわしい逸品です。
夜は酒の肴も豊富にそろい、晩酌を嗜む方にもおすすめです。住宅街の路地裏にある店舗は、たどり着くまでのそぞろ歩きさえ旅の楽しみに変えてくれます。
底倉(そこくら)温泉
画像提供/箱根町立郷土資料館 七湯の枝折「底倉全図」
戦国の世を駆け抜けた武将たちも憩いを求めた癒しの温泉
蛇骨(じゃこつ)渓谷にひっそりと佇む、秘境の趣を残す温泉地です。戦国時代には隠れ湯として、江戸時代には湯治場としても愛されてきました。現在も温泉は「かめ張り」という方法で集湯され、その豊かな恵みを堪能できます。
【泉質】
単純温泉、ナトリウム─塩化物泉(弱食塩泉)
太閤石風呂(たいこういわぶろ)
画像提供/箱根町立郷土資料館 七湯の枝折「太閤石風呂の図」
1590年、豊臣秀吉は小田原城攻めの際に底倉の地に滞在し、将兵のために石風呂を設けたと伝えられています。
戦傷を癒し、無聊(ぶりょう)を慰めたとされる「太閤石風呂」は、今も蛇骨川のほとりにひっそりと残されています。
太閤の滝
太閤石風呂から蛇骨川を下ると「太閤の滝」が現れます。
落差約10m、幅約3mの滝が勢いよく流れ落ちる光景は印象的です。秋には紅葉に包まれ、深山の雰囲気を漂わせます。滝の音が木々の間に響き渡り、自然の息吹が肌に伝わってきます。
太閤石風呂と同様、間近で見ることはできませんが、遊歩道から滝の姿を見下ろすことができます。歴史の面影を今に伝える見どころの一つです。
木賀(きが)温泉
画像提供/箱根町立郷土資料館 七湯の枝折「木賀の全図」
将軍家にも愛された癒しの名湯で心もほどける穏やかな時間
源頼朝に仕えた武将・木賀善司吉成(きがぜんじよしなり)が傷を癒したという伝説が残り、江戸時代には「子宝の湯」として徳川家に献上されたともいわれています。無色透明の単純温泉は緊張をやわらげ、湯上がりには心も体もすっきりと整います。
【泉質】
単純温泉、アルカリ性単純温泉、ナトリウム─塩化物泉(弱食塩泉)、ナトリウム・カルシウム─塩化物・炭酸水素塩泉(含土類弱食塩泉)など
桜橋(堂ヶ島遊歩道)
「桜橋」は、箱根の早川に架かるつり橋で、堂ヶ島遊歩道のコースの一部です。木賀温泉入口バス停のすぐ近くに、堂ヶ島遊歩道の入口があります。
木々がトンネルを作る細い下り坂をしばらく進むと、桜橋が見えてきます。この橋は、もともとは電力会社の管理用に架けられた私道の一部ですが、現在は一般に開放されています。
人ひとりがやっと通れるほど細いこの橋は、180kgまでの重量制限が設けられ、大人は3人までしか同時に渡ることができません。重量を気にしつつ、歩くたびに揺れる橋を渡るスリリングな体験は、旅の記憶に残ることでしょう。橋の上から見下ろす早川の流れや、周囲に広がる自然の眺めが、都会の喧騒を忘れさせてくれます。
芦之湯(あしのゆ)温泉
画像提供/箱根町立郷土資料館 七湯の枝折「芦ノ湯全図」
文人墨客(ぶんじんぼっかく)も魅了した人気の単純硫黄温泉を誇る名湯郷
1662年の開湯以来、湯治客に親しまれてきた歴史ある温泉地です。風雅を好む文人墨客も多く訪れ、複数の泉質を楽しめることでも知られています。なかでも単純硫黄温泉は肌にやさしい弱アルカリ性の湯として、今も人気を集めています。
【泉質】
単純温泉、単純硫黄温泉(硫化水素型)、含硫黄─カルシウム─硫酸塩泉(硫化水素型)、カルシウム─硫酸塩泉(石膏泉)など
元箱根石仏群
芦之湯温泉近くの「元箱根石仏群」は、鎌倉時代から室町時代にかけて造られた遺跡です。
当時、この地は火山活動の残る荒涼とした地形で「地獄」と旅人に恐れられていました。そのため、旅人の安全を祈願して石仏・石塔群を建立したと伝えられています。
溶岩の崖をそのまま彫りぬいた磨崖仏(まがいぶつ)や、溶岩を切り出して造った供養塔(くようとう)など、多彩な石仏や石塔が点在しています。これらは中世における地蔵信仰の歴史を物語る貴重な文化遺産として、国の重要文化財に指定されています。
東光庵熊野権現旧跡(とうこうあんくまのごんげんきゅうせき)
「東光庵熊野権現旧跡」は、江戸時代に文人墨客たちが湯治の合間に集い文化サロンとして栄えた場所です。
熊野権現の境内に建てられた薬師堂は「東光庵」と名付けられ、国学者の賀茂真淵(かものまぶち)をはじめとする数多くの文化人や学者たちが温泉療養を兼ねて訪れました。囲碁や将棋を楽しみ、俳句の会や茶の湯といった文化的な活動に親しんだといわれています。
東光庵は1871年に火災に遭い、1882年に廃庵となりましたが、2001年に復元されました。十六羅漢像や松尾芭蕉の句碑など歴史的石造物も残り、往時の風雅な雰囲気が今も息づいています。
阿字ヶ池
芦之湯は、古くから温泉が湧いていたものの、かつては芦の生い茂る湿原で、人の手がほとんど入っていませんでした。1662年に勝間田清左衛門がこの地を干拓し、現在の芦之湯温泉が誕生したと伝えられています。
このときの開拓の名残を今に伝えるのが、芦之湯温泉中央にある「阿字ヶ池」です。現在の池は、第二次世界大戦中に防火用水として整備されたものですが、池の奥から弁天山の麓にかけては、湿原の名残が感じられます。箱根七福神の中で唯一の女神といわれる「阿字ヶ池弁財天」も祀られ、江戸時代の開拓当時の面影を今にとどめています。
歴史を知れば、箱根の旅はもっと面白くなる
箱根の温泉は古来湧出していましたが、本格的な開発は江戸期になってから、箱根七湯として体系化されました。湯本を起点に塔之沢・堂ヶ島・宮ノ下・底倉・木賀・芦之湯へ連なる七湯は、それぞれ独自の史跡と物語を有しています。須雲川沿いの旧街道には戦国期の祠や岩肌が残り、堂ヶ島には夢窓国師ゆかりの鎌倉仏教文化が息づきます。宮ノ下では明治期の外国人避暑客が建てた洋館が当時の国際色を伝え、芦之湯の山間部では中世石仏が湯治と信仰の歴史を物語っています。
こうした名所旧跡を巡りながら、土地に刻まれた歴史と出会う時間は、温泉地としての箱根をより心に残るかたちで体験できるひとときです。湯けむりのなかにふと先人の旅情が重なって見える、そんな瞬間に出会えるのもまた、箱根七湯ならではの魅力といえるでしょう。

